2014.01.19 (Sun)
インド映画の紹介があれほど続くとは自分でも思っていなかったです
今回は 「深井克美」 です
ピンときた方には、心からの抱擁をさせてもらいます
深井克美は画家です
ですが、わずか10年たらずで筆を持たなくなりました
残された文献は非常に少ないので、発刊されている
「深 井 克 美 -未完のランナー-」
著 者:柴 勤
編 集:北海道近代美術館
発行所:北海道新聞社
からまず年表を見ていただきましょう
1948昭和23年3月9日に函館市に生まれる
1951昭和26年11月父結核で死去
妹由利養子に出される
12月頃東京へ転居
1959昭和34年洗礼受ける 洗礼名ペテロ
1968昭和43年10月 西八郎<食事のあと>に感銘し師事する
1972昭和47年10月 第36回自由美術展に<作品1>,<作品2>が初入選し佳作作家に選ばれる
1973昭和48年5月 ’73自由美術五月展に<彼岸へ>出展
10月 第37回自由美術展に<バラード>,<黄昏>が入選し会員に推挙される
1974昭和49年9月「二人展 藤島清平・深井克美」を開催し<サイキ>,<歌を>,<塩>,<イシ>,<目覚め>,<人>,<まなざし>,<サイキ(習作)>を出品
1975昭和50年10月 第1回東京展に<タキオン>を出品
1976昭和51年2月 自由美術14人展に<自己食尽>,<反抗>を出品
6月「二人展 深井克美・小林正幸」を開催し<海>,<化石>,<アマデウスの午後>,<熱>,<2人で>,<自己食尽>,<マキ>,<塩>,<指>を出品
10月 第40回自由美術展に<U>,<2時37分>を出品
1977昭和52年10月 第41回自由美術展に<冬>,<オリオン>を出品
1978昭和53年3月 初めての個展を開催し<6・5・7>,<青春1>,<青春2>,<友達1>,<人(習作)>,<2時37分>,<サイキ>,<黄昏>,<バラード>,<無題>,<旅への誘い>,<時の流れ>を出品
10月 第42回自由美術展に<人>,<風>を出品
12月16日午後1時頃通りかかった練馬区のマンション8階から母の眼前で投身自殺をはかり、同日1時13分病院で帰らぬ人となる
実質の活動期間は5年強で、壮絶な最期をとげています
私は平成4年1月、美術館で初めて深井克美の描く世界にふれた
いまだ表せる言葉が見つからないほどの衝撃を受けた
心臓をわしづかみにされ、そのまま中へ引っ張られるかと思った
私の意識は間違いなくキャンバスの中にあった
暗い暗い闇、その中にわずかに感ずる光、わずかだが闇が暗い分、たしかな輝きがあった(その輝きが希望であったのかはわからないが)
ゴッホが「私は心と魂を絵に注ぎ、そしてその過程で精神を半分失っている」と言ったように、深井もまた描くことに生を見いだし、魂をささげたのだろう
深井克美の絵は観るものに相当の覚悟を要求する、さっと流し観て次の絵にというわけにはいかない
そこには深井の持っている感情が整理も転化も昇華もされずにむきだしのまま混沌としてある
私は己の中にもおなじものが潜んでいるのかと“恐れ”、表象された感性に“美しさ”を感じた
上記「深 井 克 美 -未完のランナー-」
から作品リスト
1968 <自画像1>(3),<母の寝姿(鉛筆・フェルトペン・紙)>
1970 <自画像>,<開放>(3),<朝>(3),<ぬくもり>(3)
1972 <作品1>
1973 <黄昏>,<彼岸へ>,<バラード>,<帰心>,<男性 ゆがんだ顔(鉛筆・紙)>
1974 <タキオン>(1),<サイキ>(3),<歌を>,<まなざし>(3),<目>,<目覚>(2)
1975 <旅への誘い>,<無題>(1),<時の流れ>,<熱>(3)
1976 <U>(3),<2時37分>,<化石>(3),<海>(0),<自己食尽>(3),<マキ>
1977 <オリオン>(0),<冬>(3),<慟哭>(3),<呻き(鉛筆・紙)>
1978 <青春1>(0),<青春2>(0),<人>,<友達1>,<女>(3),<6・5・7>,<風>(0),<悲しみ>,<ランナー1(未完)>,<友達2>(3),<ランナー2(未完)>(3),<空に向かって思いは地に(鉛筆・紙)>,<自転車(鉛筆・紙)>
不明 <塩(未完)>,<習作4(鉛筆・ボールペン・紙)>
特に記載のないものは油彩・キャンバス
所蔵 (0)植木美術館 (1)北海道立函館美術館 (2)画廊駱駝館 (3)所在不明 他は北海道立近代美術館
詳しくはこのリンクをご覧ください
画風は幻想、怪奇という言葉で表されることもある
が、
何を感じ、何を見いだすかは人それぞれだと思う
ぜひ心で何かを感じて欲しい
1973 彼岸へ

1973 バラード

1974 タキオン

1974 サイキ

1975 時の流れ

1976 2時37分

1976 海

1977 オリオン

1977 冬

1978 青春2

1978 人

1978 友達1

1978 6・5・7

1978 ランナー

何かしら深井に「希望」に近いものが生まれているようにも思えるが、その矢先の自死であった
深井の目に心に外界はいったいどのように映っていたのだろうか
以下は自分自身への語りと同時にある方への謝辞である
つい先日 インターネット上で知り合った方(リスペクトし、かつ誇りに思う方である)がマックス・エルンストやフランシス・ベーコンを感じるとおっしゃられた
マックス・エルンスト

フランシス・ベーコン

エルンスト、ベーコンとも知ってはいたが、言われてみてなるほどそのとおりだと初めて気が付いた
独学の深井は色んな絵を先生としていたのだろう
この二人の絵の中に近親性を感じ、表現法が血肉になったであろうことは容易に想像できる
今まで単独でしか絵を観てこなかったので、複眼的に俯瞰して観るということで違った面を見つけることができる歓びを得た
また、思い入れの強いものを語るには言葉にしづらいということがあるが、
この記事を書くために背中を押してくれることにもなった
この場から心からの御礼を申し上げたい
ありがとうございました
フレッツ光キャンペーン実施中!
今回は 「深井克美」 です
ピンときた方には、心からの抱擁をさせてもらいます
深井克美は画家です
ですが、わずか10年たらずで筆を持たなくなりました
残された文献は非常に少ないので、発刊されている
「深 井 克 美 -未完のランナー-」
著 者:柴 勤
編 集:北海道近代美術館
発行所:北海道新聞社
からまず年表を見ていただきましょう
1948昭和23年3月9日に函館市に生まれる
1951昭和26年11月父結核で死去
妹由利養子に出される
12月頃東京へ転居
1959昭和34年洗礼受ける 洗礼名ペテロ
1968昭和43年10月 西八郎<食事のあと>に感銘し師事する
1972昭和47年10月 第36回自由美術展に<作品1>,<作品2>が初入選し佳作作家に選ばれる
1973昭和48年5月 ’73自由美術五月展に<彼岸へ>出展
10月 第37回自由美術展に<バラード>,<黄昏>が入選し会員に推挙される
1974昭和49年9月「二人展 藤島清平・深井克美」を開催し<サイキ>,<歌を>,<塩>,<イシ>,<目覚め>,<人>,<まなざし>,<サイキ(習作)>を出品
1975昭和50年10月 第1回東京展に<タキオン>を出品
1976昭和51年2月 自由美術14人展に<自己食尽>,<反抗>を出品
6月「二人展 深井克美・小林正幸」を開催し<海>,<化石>,<アマデウスの午後>,<熱>,<2人で>,<自己食尽>,<マキ>,<塩>,<指>を出品
10月 第40回自由美術展に<U>,<2時37分>を出品
1977昭和52年10月 第41回自由美術展に<冬>,<オリオン>を出品
1978昭和53年3月 初めての個展を開催し<6・5・7>,<青春1>,<青春2>,<友達1>,<人(習作)>,<2時37分>,<サイキ>,<黄昏>,<バラード>,<無題>,<旅への誘い>,<時の流れ>を出品
10月 第42回自由美術展に<人>,<風>を出品
12月16日午後1時頃通りかかった練馬区のマンション8階から母の眼前で投身自殺をはかり、同日1時13分病院で帰らぬ人となる
実質の活動期間は5年強で、壮絶な最期をとげています
私は平成4年1月、美術館で初めて深井克美の描く世界にふれた
いまだ表せる言葉が見つからないほどの衝撃を受けた
心臓をわしづかみにされ、そのまま中へ引っ張られるかと思った
私の意識は間違いなくキャンバスの中にあった
暗い暗い闇、その中にわずかに感ずる光、わずかだが闇が暗い分、たしかな輝きがあった(その輝きが希望であったのかはわからないが)
ゴッホが「私は心と魂を絵に注ぎ、そしてその過程で精神を半分失っている」と言ったように、深井もまた描くことに生を見いだし、魂をささげたのだろう
深井克美の絵は観るものに相当の覚悟を要求する、さっと流し観て次の絵にというわけにはいかない
そこには深井の持っている感情が整理も転化も昇華もされずにむきだしのまま混沌としてある
私は己の中にもおなじものが潜んでいるのかと“恐れ”、表象された感性に“美しさ”を感じた
上記「深 井 克 美 -未完のランナー-」
から作品リスト
1968 <自画像1>(3),<母の寝姿(鉛筆・フェルトペン・紙)>
1970 <自画像>,<開放>(3),<朝>(3),<ぬくもり>(3)
1972 <作品1>
1973 <黄昏>,<彼岸へ>,<バラード>,<帰心>,<男性 ゆがんだ顔(鉛筆・紙)>
1974 <タキオン>(1),<サイキ>(3),<歌を>,<まなざし>(3),<目>,<目覚>(2)
1975 <旅への誘い>,<無題>(1),<時の流れ>,<熱>(3)
1976 <U>(3),<2時37分>,<化石>(3),<海>(0),<自己食尽>(3),<マキ>
1977 <オリオン>(0),<冬>(3),<慟哭>(3),<呻き(鉛筆・紙)>
1978 <青春1>(0),<青春2>(0),<人>,<友達1>,<女>(3),<6・5・7>,<風>(0),<悲しみ>,<ランナー1(未完)>,<友達2>(3),<ランナー2(未完)>(3),<空に向かって思いは地に(鉛筆・紙)>,<自転車(鉛筆・紙)>
不明 <塩(未完)>,<習作4(鉛筆・ボールペン・紙)>
特に記載のないものは油彩・キャンバス
所蔵 (0)植木美術館 (1)北海道立函館美術館 (2)画廊駱駝館 (3)所在不明 他は北海道立近代美術館
詳しくはこのリンクをご覧ください
画風は幻想、怪奇という言葉で表されることもある
が、
何を感じ、何を見いだすかは人それぞれだと思う
ぜひ心で何かを感じて欲しい
1973 彼岸へ

1973 バラード

1974 タキオン

1974 サイキ

1975 時の流れ

1976 2時37分

1976 海

1977 オリオン

1977 冬

1978 青春2

1978 人

1978 友達1

1978 6・5・7

1978 ランナー

何かしら深井に「希望」に近いものが生まれているようにも思えるが、その矢先の自死であった
深井の目に心に外界はいったいどのように映っていたのだろうか
以下は自分自身への語りと同時にある方への謝辞である
つい先日 インターネット上で知り合った方(リスペクトし、かつ誇りに思う方である)がマックス・エルンストやフランシス・ベーコンを感じるとおっしゃられた
マックス・エルンスト

フランシス・ベーコン

エルンスト、ベーコンとも知ってはいたが、言われてみてなるほどそのとおりだと初めて気が付いた
独学の深井は色んな絵を先生としていたのだろう
この二人の絵の中に近親性を感じ、表現法が血肉になったであろうことは容易に想像できる
今まで単独でしか絵を観てこなかったので、複眼的に俯瞰して観るということで違った面を見つけることができる歓びを得た
また、思い入れの強いものを語るには言葉にしづらいということがあるが、
この記事を書くために背中を押してくれることにもなった
この場から心からの御礼を申し上げたい
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